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人面と素顔

偏見を省みず言えば古代の埴輪にみられる顔の印象はまず匿名的で個人を現す貌というより人面という表現の方がしっくりくる。目鼻口の部位があわさり人に見えることにとどまっていて特定の誰かの人間性までは映さない。ある意味では個性を覆い隠しているのが人面ともとれる。だからこその魅力面白さも否定できないのではあるが。※近年のゆるやかな埴輪ブームの理由の一つかもしれない。

 視線を現在の学園生の作品に移すと、顔だけでなく(顔だけ取り出せないので)全体をひとかたまりと捉え粘土のブロックを組み合わせ骨格や筋肉に相当する動きやそこから醸し出される特徴ある表情を引き出しているようだ。制作過程を振り返ると、目的の形を目指し粘土を積み上げ遮二無二に作り込んでいくのではなく、型の容器を囲むように粘土のかたまりを緩やかに繋ぎ合わせ、それと同時に生硬になりがちな形を程よくほぐす柔らかな指の”ちから”が作品に特徴ある動きの感覚を与えている。

 シンプルな制作過程に支えられた表現は、個人の全体的なイメージや特徴もしっかりと捉えている。実際の外形そのものが作者本人にピッタリ重なるわけでもない。それどころかはっとするデフォルメもある。だが、醸し出される雰囲気は掛け替えのないその人のものであることに驚かされる。

 

 数年前、私は新しく生まれた作品群を”おしゃべりな埴輪”と呼んだ。今また新しく生まれた作品を前にして陽気でユーモラスな印象は変わらないが、おしゃべりであったり寡黙だったり、作品全体を一つの言葉ではくくれないと感じている。

 

  一人一人の鮮やかなが見え隠れするのだ。                                                                                                  

                           

                                                                                                                                                                                    

                             

 

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コメント: 5
  • #1

    谷口茂 (木曜日, 29 12月 2022 23:16)

    古代の埴輪は、製作者集団が既に製品化された技術での表現をしており、作品と呼ぶより製品であると言える。明治大学の若狭徹先生の『埴輪 古代の証言者たち』でも、埴輪は古墳構築をした社会の生活を伝える「物語」であるとされる。首長の生活の有様を物語る記録情報伝達媒体ということになる。
     それに対して「しだみ学園」で作成される「はにわ」は、まさしく「作品」であり、技術ではなく芸術の表現として、作者の個性を見せてくれる。
     伝えられるものが、違うということだろうか。

  • #2

    宇佐美智恵丸 (金曜日, 30 12月 2022 02:44)

    ところで、現代までの日本で継続的に成功をおさめてきたのは、埴輪に見られる匿名性が支配する芸術ではないだろうか。作者すら判然としない鳥獣戯画のユーモラスな表現、参道に偏在する地蔵仏、市場に向け大量に流布しあっけなく消費されることを厭わなかった浮世絵の数々。高村光太郎に"根付のような日本人"という言葉を吐かせた根付等々。
    そして現在、埴輪的な表現はマンガ、アニメーションとなって世界を席巻し、侵食しているように見える。

  • #3

    谷口茂 (火曜日, 03 1月 2023 17:37)

    大きな精神史・人類史的枠組みで俯瞰すると、ブラフマン‐アートマン・モデルといった世界観・精神(知性)観で文明・文化も観られ、その観点では結局、皆、匿名性の芸術であり、作品になると思われる。作品・製作物に関連する技術は、とてつもなく多くのアイデアが集積して、その時点、その時点で発現しているわけで、「表現」もそれらに支えられているところが大きな要素になるのではないか?
    その途上で、時折、強烈な印象を与える「物語性」が個性を示すように観えるのであり、芸術作品だけでなく、どのような領域でもそれは現象している。アインシュタインの「相対性理論」にしても、先行した思考法、探求があって、その集積が彼の認識に焦点が合ったのであり、仁徳天皇陵なども、一人の君主の「物語」がそこに描かれているわけではないだろう。
    従って、そうした遍く広がる芸術表現は、日本に特有な現象とは決して言えず、人類に共通に発現してきたのではないだろうか?
    ただ、今後、「個性」の名を与えられるのが、実際はグローバル・ブレインとしてネットワークで繋がったAI(エージェントAIであろうがメインAIであろうが)の集積全体に対して呼ばれる名になるかもしれない・・。

  • #4

    匿名性が個性でないとは限らない (火曜日, 10 1月 2023 23:09)

    ある作物が芸術かどうか、または芸術とは何かという議論は答えがなく、不毛な議論になりやすいので避けたいところ。
    個性的だから、素晴らしいとは限らず個性がないところが面白いということがあり、はにわの場合無表情な能面のような顔が頭部に張り付いているところ、さらに人だけでなく動物などバリエーションが多いのもユニークで興味深い。
    こういった表現が世界のどこにもないと言ってる訳ではないと同時に、どこでも似たようなものがあると言う言い方も安易な物の見方に繋がる恐れがある。

  • #5

    谷口茂 (月曜日, 16 1月 2023 23:10)

    表現にも「普遍的に」為されたものもあり「個的に」為されたものもあり、「普遍性」を表現したものもあり「個性」を表現したものもあり、そうしたカテゴリーの位置づけは、作品に与えられたストラテジーを読み解くにはどうしても必要ではある。
    問題はそれぞれのカテゴリーにおいて、その作品の表現の仕方に意識を向けることだと思われるのだが・・・。